囲町の歴史
-history-
江戸時代、中野は、江戸に近い将軍直轄支配地として、また、鷹狩りの指定地としても重要な位置を占めておりました。そのため、徳川将軍家との関わりも少なからずありました。中野と将軍家との関係は3代家光の頃から歴史に登場いたします。「徳川實記」によると家光は、寛永17(1640)年から正保4(1647)年までの7年間に尾張徳川・紀伊徳川家をはじめ重臣達と共に、29回も中野に鷹狩りに訪れています。
5代綱吉の時代、「生類憐みの令」が発令され、中野にはお犬様を養育するためのお囲い(犬小屋)が設けられました。お囲いは始めに現在の中野ZEROホールの辺りにつくられましたが、足りなくなり、現在のサンモールのあたりに「二の囲」が増築されました。さらに区役所跡地と警察大学校跡地に「三の囲」、さらに警察大学校跡地と環状七号線あたりまでに「四の囲」、そして今度は南側中野三丁目全域に「五の囲」と増築を続け、最盛期には面積は約30万坪(約100ha)にも及び10万頭以上の犬が養育されていたといわれています。当地区を含む中野4丁目付近の旧町名「囲町」はこの「四の囲」に由来しているそうです。
旧区役所前にあったお囲いの犬の像
区役所の建替えに伴い、お囲い犬も移転しました。